「阿部、かみさまはいると思う?」



そう言う栄口の腕は、何も身に纏っていない俺の体を後ろから抱き締めていた。首筋にかかった息がくすぐったくて身じろぎすると、シーツのこすれる感触と共にもっと強く抱き込まれた。




「俺としては、あまりどうでも良いことだけど」




話しかけてくる声はいつもの通りだ。表情も、後ろから抱き締められているためわからない。けれども、俺には栄口が今どんな表情をしているのか、わかる気がした。栄口は優しい。いつもこちらに気を使って疲れないかと思う程だ。行為の時だって、決して無理強いはしない。そんな彼が、本当に稀に、なんの遠慮もなく襲ってくることがある。今日もそうだった。口では優しい言葉を吐きながらも、それが実現されることなく激しい追い上げに何度も果てた。終いには軽く意識が飛んでしまうこともある。ごめんね、ごめんね。そんな俺に彼は終わった後何回も謝るけれど、正直そんなことはしないで欲しい。だって、行為の最中ずっと泣きそうな顔をしているから、今もきっとそんな顔をしているんだろう。




「でも、もしかみさまが俺から阿部を奪うのなら、」




昔、受験で初めて話した以外に、一つだけ栄口に関する記憶がある。あれは、中一の初秋の頃だった。朝晩の気温が涼しくなって、けれども日中にはまだ気だるい暑さが続いている頃、俺は窓側の一番後ろというとてもラッキーな席に座っていた。三時間目は国語。生憎と文章を読むのが苦手な俺は、早々に挫折しかけている頭を起動させようともせずに、ぼんやりと空を見つめていた。秋になって、空が少し高くなったように感じる。これからは茹だるような暑さもなくなって、シニアの練習も楽になるかなと考えていた時、不意にその人影を見た。そいつは三時間目の途中だというのに鞄を引っ付かんで校庭を全速力で走っていく。おぉ、速い。そんな感想が頭に浮かんだ時、正門前に一台の乗用車が耳障りな音をたてて止まった。それを見てそいつの速度はぐんと増して、俺はまたすげぇと素直に感心した。そいつはそのまま車に乗り込んで、車は再び音をたてて急発進する。その音が遠くで響いて消えた後、残ったのは気だるい暑さに気だるい授業。もうそろそろ自分に発言が当たりそうだと思いつつ、さっきの彼のことを考える。あの様子だと、自分が体調不良で早退とかではなく、身内の誰かに何かあったりしたのだろうか。そこまで考えて、俺は教科書の文章に視線を戻した。所詮は他人ごとだ。俺はまだ栄口という名前すら知らなくて、けれども必死に走るその背中だけが、何故か記憶に残っていた。




「俺は、かみさまを殺す方法を探しちゃうよ。」




そうしたら、俺は天罰を受けて人生終わりかなぁ。



そう言う栄口の声は笑っていて、想像する顔は泣いていて、脳裏に浮かぶのは必死に走る背中で、俺はどの栄口が本当なのかわからなくなってしまった。わからなくなった所で特に何も思うことはなく、そのまま体を反転させて栄口の顔を見る。そこにあった顔は泣いているのか笑っているのかよくわからない表情で、俺を抱き締める腕は情けない程に強張っていた。あぁ、本当の栄口は笑顔の下でぐちゃぐちゃに混ざり合っていて、溶けた感情はマーブル模様ですらなくなってしまったから、自分ではもう自分自身すら見つけられないんだな。かわいそうに、かわいそうに。俺は笑って彼に口づけた。溶けて溶けていなくなるのなら、俺が残さず食べてあげる。俺の中でどろどろに壊れてくれればいいのに。




「なら、俺も一緒に天罰を受けてやるよ」




そう言うと、栄口は少し驚いてから、笑った。俺は栄口の笑顔が大好きで、嫌いだ。その笑顔は彼個人を定義するものであると同時に、存在を否定するものでもある。お前は、もう笑顔無しじゃ生きていけなくなってしまったんだな。お前の器は、あの日に全てかみさまが持っていってしまったんだ。




「じゃあ、ずっと一緒だね、阿部」




笑って噛みついてくる栄口の唇を、俺も笑って受け止める。笑って口の中で囁いた。嘘つき。本当は一緒なんて望んでないくせに。お前はまた失うのが怖いんだろう?自分が一人になるのが怖いんだろう?そのくせ、一人じゃないと安心感を抱きながら勝手に死のうとする。先に行ってしまった人に会おうとする。ふざけんな。そんなことはさせないよ。




「ああ、ずっと一緒だ」





また押し倒されて首筋に顔を埋めている栄口を感じながら、ぼんやりと視線を彼の机の上に向ける。そこには写真立ての中から彼の母親が笑いながら見つめていて、こちらもにこりと笑い返した。会わせなんてしませんよ。そう話しかけても相変わらず彼女は笑っていて、俺は頭の中で彼女を写真立てごと握り潰した。そうして、未だ首筋に紅い花を咲かせている彼の頭をそっと撫でた。 弱くて、臆病で、酷くて、俺のことを一番に見てくれやしないお前が、大好きなんだよ、栄口。













(少し開いた窓から雨混じりの風が入ってくる。もうすぐ母親の命日だ)























かみさまごろし













栄口の中のお母さんに嫉妬する阿部。お母さんが居座っているせいで一番になれないと思っているんです。
栄口のお母さんの事を考えるといつも胸がいっぱいになります。なのにこんなの書いてすみません。



07/10/08    一菜