久しぶりに隆也から電話がきた。あいつは社会人になって仕事に順応するのに悪戦苦闘していたことは知っていたし、俺もシーズンが始まって毎日忙しかったから、声を聴くのはかれこれ半年ぶりだ。それでもずっと耳に馴染み続けた声だったから、あー隆也の声だーって感慨深く返事をすると、何気持ち悪い声出してるんですかとばっさり斬られた。クソ、相変わらずムカつく奴。




隆也と別れたのは5年前のことだ。高校を卒業してプロ入りして1ヶ月。あいつは「ありがとうございました」だけ言い残して突然去っていった。姿を見せなくなって、連絡も取れなくなって、俺の側にいた筈の温もりは、何時の間にかがらんとした部屋の静謐に取って代わられていた。


今思えば、あいつは俺の一番夢見がちな時期を一緒に過ごしていてくれたんだと思う。シニアで酷く傷付けて違う高校へ行って、でも想いが通じ合って結ばれたんだ。どっかの恋愛小説みたいだと俺は浮かれていた。あいつも、あの時点ではそうだった筈だ。あの生意気さが少し鳴りを潜めたのはいつからだったのだろう。あいつに似合わない静かな笑みを浮かべるようになったのは。
あぁ、あの時俺はきっとすごくふわふわした感覚の中にいて、お前となら空も飛べるさみたいな甘い幻想を本気で信じるくらいには馬鹿だったんた。そんな俺をあいつは呆れたような顔をして見ていた。あんた本当の阿呆ですねなんて生意気なことを言う煩い口を塞いでやろうかと何度も思ったけれど、振り向けば静かににこちらを見ている笑顔が好きだったから、結局は己の口で塞いでしまった。それでもちゃんと地面に足を着けていたお前は、俺の腕をつかんで離さないでいてくれたんだ。いくら腕を引っ張ってもあいつの足は地面に吸い付いたように離れないから、俺は2人で空を飛べないと何度も喚いた。あいつは曖昧に笑っていた。けれども、そのお陰で俺は窓から飛び立つこともなく、人間には飛行機能が備わっていないとやっと気付いて真っ逆さまに飛び散る肉塊にならずに済んだんだ。 夢見る子供は終わりだと、世界は強制的に俺を起こしにかかる。大人達の策略。マスコミのフラッシュ。世間に放り出されては見せ物小屋の気分を味わう。プロ1ヶ月目。まだあいつと夢を見たいと最後に伸ばした腕をあいつは振り払って、俺の夢は終わりを告げた。あの静かな笑みは諦めだったと、やっと俺は気づいたんだ。










結婚することになりました。
電話の向こうのあいつが言う。は?と聞き返した俺にあいつはもう一度同じ言葉を繰り返した。言葉が耳から入って神経が繋がって脳に到達して理解するまでたっぷり10秒。口から出てきたのは、「……お、おおおめでとう……」なんて情けない言い方のお祝いだった。自分で言っておいてどうかと思う。けれども、そんな俺の声を聞いたあいつは、「……元希さんにお祝いされるの、やっぱり気持ち悪い……」とか言いやがるから、俺は当然キレた。あいつは涼しい声で受け流す。なんで俺より先に結婚してんだよ!!そんなの知るか!!まるで喧嘩のような言葉の応酬で、さっきまでの妙な緊張はすっかり吹き飛んでいた。まるで昔に戻ったみてぇだな、と俺は笑った。隆也も笑った。


「今、幸せか?隆也」


そう問うと、隆也はほんの数瞬黙り込んだ。その間にどんな思いがあいつに過ぎったのか、俺は知らない。でも、あいつの声の響きが、まるでひどく大切なものを扱うようなゆっくりとした言い方が、それが紛れもない真実だと俺に教える。


「……幸せです、すごく」



「………そうか、良かったな」


あぁ、本当に良かった。素直な気持ち。おめでとう、ありがとう。お前を心の底から笑顔にしてくれる存在に出会えたことを、すっげぇ嬉しく思う。俺にできなかった分、その子と幸せになれよ。 最後におめでとうともう一度言うと、今度こそ隆也はありがとうございますと言った。照れ笑いのような声だった。






電話を切ってしばらくぼーっとしていると、「隆也くんから?」と後ろから声がした。風呂上がりの俺の彼女だ。そうなんだよ、あいつ俺より先に結婚しやがるんだぜ、俺らもしよう!とか言ったら、「そんな子供の喧嘩みたいな理由で結婚したくない」とぴしゃりと言われた。それもそうかと思い直して、じゃあ真剣に頼んだら?と聞いたら、「……考えてもいい」とボソッと彼女は答えた。その頬が風呂上がりのせいだけでない理由で赤く染まっているのを見逃さない俺は、たまらなくなって彼女を後ろから抱き締めて濡れた髪にそっと顔を埋めた。 なぁ、今俺の大切な大切な彼女は、お前よりもずっと優しいけれど、お前に似て強情なんだよ、隆也。






(けれども、もしあの時俺が青い青い空へジャンプして真っ逆さまにおちたとしても、お前が一緒だったなら幸せに違いなかったと、俺は未だに言い切れる自信があるんだ)























たくさんの願望と幾ばくかの哀愁









お互いの道を歩き始めても、しこりのように胸に残っていればいいなという願望。
わかりにくい話ですみません。



07/08/12    一菜